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幸せ話よりdermes 激光脫毛
ブログやSNSの日記で、タイトルを見て、読んでみたいと思う記事。
わたしがよく行くSNSでは、各日記の横に閲覧数がずらりと並んでいる。

皆さんの日記タイトルと閲覧数の関係を見ると、不幸な内容になると、ぐっと閲覧数があがる。
じつは???
そのSNSに、わたしの大嫌いな女性がいて、その人はわたしの日記に足跡をつけるが、
わたしは、その人の日記は絶対に見ない。
のであるが、日記タイトルで、不幸タイトルがアップされていると、見に行きたい衝動にかられる。
でも、見に行かない。足跡がつくのが、嫌なので。

しかし、ぐっと我慢していても、どうしても我慢しきれず、怖いもの見たさに見に行くことがある。
その時に、彼女の他のタイトルの日記もついでにまとめて読む。
彼女は、気を引くタイトルをあげていたりするが、内容は、全然、自分の話ではなくて、人の話だったりして、あたかも本人のことであるかのような引っ掛けタイトルに、つい釣られてしまう。
ああ、やられた!


多くの人に日記を読んで欲しいのは、ひとつの自己顕示欲の現れだと思う。
ブログを書く人なら、だれにでもある当然のことだ。
そんなことを言っていたら、世の中、ブログだらけで、いまや、ブログは、なんの特別なことでもない。
ごく普通のことになっている。

多くの日本人シニアが世界各国に旅行して、高品質カメラで写真を撮り、ばんばんブログにアップする、と、どこかの解説で読んだ。
高度成長期、メガネをかけ、カメラを首にぶらさげた、背広を着た日本人が、背が高い西洋人を相手に、ぺこぺこしている風刺画を見たことがある。
どこか、それとイメージが、わたしのなかで重なる。
キーワードは、日本人、カメラ、男性迪士尼美語 世界

しかしながら、
ぺこぺこ日本人のおかげで、我々は今日の豊かな生活を享受できるのであるが、外国人の目は冷たい。
自国の仕事を日本に取られたから、仕方ないといえば仕方ないが。


インターネットの出現で、自分を発信するツールができた。
ある、素人コラムニストさんが、書いていたが、
彼女の噂を聞いてブログにたどりつき、昔の友人たちが60年ぶりや40年ぶりに連絡を取ってきたそうだ。

わたしの場合、蝶ブログは、毒入りなので、自分の知られたくないことが、てんこ盛りのブログにたどり着かれると、非常に複雑な心境になる。
「あ、あのブログ、あれは、ですね???ほんとのことを書いてますけれど、生活はちゃんとマトモですから」
なんて、自分の毒の解説をして、脂汗を流しながら釈明しなければならない。

というか、リアル元同級生や、リアル元同僚は、一目散に蝶ブログから遠ざかったという経歴あり。
きっとニオイに耐えられなかったんだろう。
ホンネを書かないブログ、美しく取り繕うブログ、事実だけを淡々と書くブログ、そういうブログであってもよい。
わたしの場合は、一種の毒吐きであり、自慢吐きであるので、自己完結してそれでオワリ。
読まされる人にとっては、読んでいて気持ちがよいとは言えない。
しかしながら、来る者拒まず、去るもの負わずの主義なので、自己チュー体制に影響はない。

自分の良い部分もあるんだけれど、あえてそれを書いてどうする?
人が思ってくださるのは自由だか、自分であえて自己PRするのは、わたしの趣味ではない。

書いていて、なんの話だっけ?と、ふと止まる。

話は変わるが、
「皆さんもそうですが、書くことによって、気持ちの整理ができ、こころを静められるものです」。
そう日記で、自分の考えを皆もそうだと断言して書いている人(=Aさん)がいるが、
その人の日記は、めちゃくちゃ暗くて、どんより、もわ~んと重いので、こちらにまで重いものが寄ってきそうで、読まない。
気持ちをシェアーなど、とんでもない。
その人は、スッキリするのだろうけれど防脫髮 方法
書いてスッキリするのは「世の中の人の多くは」ではなく、「Aさんは」だと思う。
読むほうは決してスッキリしないのである。
「自分のことを知っている人は、心配させてはいけないので、読まないでほしい」と日記に書いておられるが、矛盾もいいところだ。

気持ちはわかるが、自分を正当化して、上から目線の、この人の姿勢は、好感が持てない。
ん?
「スローさん、それ、あんたのことと、ちがうの?」という声が、突然、聞こえてきた。
自分とまったく同じスタンスのものに触れて、反感を覚えるって、これは何?
人の振り見て我が振り直せ、ってことなのだろう。

と、どんどん、話が、ふらふらとワケのわからない方向に迷い込んできてしまった。
〆るはずが、これでは、お手上げだ。

とりあえずは、このまま、オワリです。

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